酒量の全盛期は、バー勤務の頃
18歳で高校を退学して、赤坂にあるバーで働くようになりました。その頃の酒量は、各段に増えまして。一日の流れを言いますね。
朝起きて9時頃、ウイスキーをコップにそそいでストレートで2杯飲む。その後、運動器具で1時間半ほど汗を流す。のどが渇くので、缶酎ハイを2缶。今度は浴室で1時間半身浴しますが、風呂のフタにウイスキーを置いて飲む。終わると、また缶酎ハイ。その間、なにも食べません。
13時頃に家を出て、仕事に向かいます。ダイエットのため、最寄り駅まで歩く。駅で待つ間、バックからウイスキーの小瓶を出して飲む。車内でも飲みますが、そこは寝る時間。駅に着いても飲む。14時にお店に出勤すると、着替えている最中にも飲む。ホールの準備の際、樽に残ったビールを見つけると、「お客様につぐ練習」と称して同僚と注ぎ合って飲む。営業時間は、お客様から勧められて飲む。「どうせなら、高いやつを」と勧められるので、高価なウイスキーをショットでいただく。仕事が終わると、渋谷のクラブに友だちと飲みに行く。まだ待ち合わせまで時間があると、店のカウンターで飲む…。
お酒は人生を楽しむ「道具」
私、特に強いと思ってなかった。でも、昼間から飲んで、仕事できて、疲れない。ちゃんと接客しますよ。働き始めた頃は、「お客様には笑顔を」ができませんでした。店長や副店長に諭され、仕事と割り切るようになってからは、お酒が入るとつくり笑顔もできるように。相手も、飲める私を喜んでくれました。
今まで苦労してきたぶん、むくいられたんだと。ず~っと楽しくいられる、お酒っていう「道具」の使い方を発見した…そう、「私は天才だ!」と思ったんです(笑)。
食べないから飲めた。お酒で栄養をとっている。女優の川島なお美さんが「私の血は、ワインでできてる」と言ってたことは、よく分かります。仕事の休憩中に、食べたものを吐いてテッシュにくるんで、トイレに流してました。胃の中を空っぽの状態にして、お酒を入れるのが好きだったんですね。お酒が、体の隅々、細胞の中にまで染みわたっていく感覚がないと、気が済まなかった。
離脱症状が出て、手が震える
お店で働いてから3カ月後、離脱症状が出るようになりました。手が震えてくる。それでもお酒を飲めば止まるので、「問題ない、気のせいだ」と思いました。
当時、父親とは別居の状態で、私と母親との2人暮らしに。母親は依存の対象を、ギャンブルからお酒に移していました。私が朝から飲んでも、別に何も言いませんでしたが、さすがに、呆れられたことがあります。休日、私がウイスキーを水のように飲むのを見て、「あんたの飲み方は、恐ろしい」と。母親も昼間から飲んでいました。そんな人から言われてしまったわけです。
友だちと病院に行くも、不信感で一杯
結局、バーには3年間、23歳まで働きましたが、とうとう辞めることに。お酒が抜けると、全身が震えるようになったからです。「お酒で特別な力を手に入れた」と思ったことが、真逆になった。精神的にすごい落ち込んしまって。それでもお酒をやめようとは思わない。家では手が震えると、壁を殴ってました。
酔うと友だちに電話をかけまくりますが、話す内容がさらに支離滅裂に。まず、友だちが心配してくれたんです。突然、3、4人が来て、「家の近くの心療内科クリニックに行こう」と。母にも了承を得てくれたようです。私は、お酒を止められるだろうから、「絶対行きたくない」と身構えてました。でも説得されて、仕方なく行くことに。
クリニックでは、お酒の量は少なめに申告しました。先生のことは全然信用できず、とりあえずその場を取り繕っとけばいいと。やはり先生から「節酒」を命じられて、友だちもそれを勧めました。「断酒」じゃなくて、「節酒」です。友だちの前では「1日、缶酎ハイ3本」と約束しました。それ以上飲みたくなったら、電話するということに。いい友だちなんです!
がんばったんですよ…でも3日目で耐えきれず、友だちに電話して「飲みたい」と連絡しました。すると、「どうして、そんなに飲みたくなるの?」と言われてしまって。こちらは何も言えない。「心配して、クリニックにまで連れて行ってくれた友だちのためにも、節酒しよう」というストッパーが外れてしまう。「やっぱり友だちは、理解してくれない」と思ったんですよね。
節酒は挫折し、酒量も元に戻る
その日、元に戻りました。いつもの通りの量のお酒を買ってくる。飲んで友だちに電話するのは相変わらず。ただし、酒を辞めさせようとする厳しい友だちじゃなく、事情をあまり知らない人ばかりに連絡する。
「自由に飲める!」という気持ちの方に100%傾いてしまった。飲むことで得る「自分らしさ」を、節酒によって「取られた」感があったんです。酔っててもひどい状態のときは、「本当の自分じゃない」と思うので、都合のいい考えですよね。
飲むほどに、自分なりのちょうどいい、研ぎ澄まされた感覚に達します。普段聞いている音楽が、ものすごくクリアに聞こえる。ぐちゃぐちゃな頭の中がスッキリする。見えない大きな力に包まれる感覚になるんです。とてもお酒をやめられない。自分では、体のことは心配してなかった。元々、そんなに生きようと思ってない。飲んでそのまま死ねるかなと…。
映画『17歳のカルテ』との出会い
そうそう…私、ある映画の登場人物とそっくりなんです。16歳か18歳のとき、友だち一緒に見た『17歳のカルテ』(ジェームズ・マンゴールド監督、1999年、アメリカ)です。精神病院での話で、アルコールや薬物の依存症や心の病を持つ人たちが出てくる。私、すごい共感できたんですよ。見終わって「泣いた」と言うと、友だちは「えっ、どこが?」と驚いたことがショックでした。その映画を見たとき、自分が精神病院に入院する人間ではないかと思った。
内容を思い出しますね…まず、リサっていうティーンの少女が出てくる。もう何年もいる患者で、女性病棟を支配するボス的存在。相手をコントロールするような病で、一見すごく勝気なんです。主人公は、17歳の少女スザンヌ。新しく入所するなり、リサと仲良くなる。スザンヌは繊細な子ですが、紆余曲折を経て、やがて回復に向かいます。ついに退院するとき、リサはスザンヌに怒る。「先生の言いなりになって、正常な人間のふりをしてる。私を置いて、外の世界に戻るの?!」と。2人は大喧嘩をしますが、スザンヌは「あんたは自分と向き合うのが怖いんでしょ! 死んでるのと同じなんだわ!」という言葉を投げつける。リサは、初めて泣き崩れます。
彼女は、自己否定の気持ちがあって、自死することを、他人に後押ししてほしかったようなんですよね。それで周りにつっかかって、誰かが自分に対して「死になさい」と言わせようとしていた。スザンヌが、そこをついたわけです。
ラストシーンでは、リサは閉鎖病棟のベッドに拘束されている。自死しようとするのを、泣いて止める患者仲間によって、命はとどめたのです。退院直前のスザンヌが、リサに「次は、外でまた逢おうね。あなたも、いつかここを出るのよのよ」と優しく呼びかける。映画は、病院の外に出るスザンヌが、「ボーダーライン症候群」を克服したことを明かします。正常と異常の境目を漂う病ですが、「その境目ってなんだろう?」という彼女自身の問いかけで物語は終わる…。
離脱症状が出て、歩けなくなる
無職となった30代前半から、貯金もなくなり、生活費は母方の祖母から借りまして。あと、姉の仕送りです。一緒に暮らしていた母親が亡くなった30歳以降は、生活保護も受けるように。飲むばかりで、食べ物はほとんど買わない。風呂も入らず、電気も使いません。かえって、お金は余りました。
お酒が切れて離脱症状が出ると、全身が震えて歩けなくなるように。胃の痛み、足のしびれもあったんで、体の痛み止めとしても使っていました。離脱症状では、まずソワソワ感が出てくる。「なんか来るな」っていうのが、だんだん分かる。徐々に手が震えてくると、自分が「アルコール中毒」だと認めざるを得なくなる。だから、症状を見ないふりしてました。当然、病院にも行かない。
飲むと、すぐに吐くようになり、体がもう受け付けない。それでも飲むんですよ。吐くと、体のことより、吐いたお酒がもったいないと思う。むくみが出てくると、それを気にして、より食べなくなる。
姉を完全に怒らせる
母が亡くなって、1人暮らしになったとき、初めて携帯を持ちました。通話料は、姉が支払ってくれて。やっぱり酔っぱうと、電話しまくる。今みたいに「使い放題」設定もなく、たちまち月7万円とかに。しかも昼間も姉にかける。その頃、存命してた祖母にもかける。
姉の友だちも家から近かったんで、心配して来てくれました。引っ越しの手伝いをしてくれたり、色々足りない物を買ってきてくれたり。まだちっちゃい子のいる人ですが、甘えてしまって、「寂しい」だの「死にたい」だのとすがってしまう。
さすがに、姉は電話でこちらをとがめ、大喧嘩になる。私は「母親のことが、全部こちらに降りかかってきた。あんたは何もせずにずるい!」と言ったものだから、もう完全に怒ってしまって。無理もありません。姉が「ここにいたらおかしくなる」と家を出たのは10代。お金もない中、住む場所も仕事も、一から探して大変な苦労をしたわけですから。その上で、私への援助もずっと続けてくれましたし。
「自死ではなく、自然に死にたい」
家の中で、そのまま1人で死のうと思ったんですよ。自分が生きていることによって、人に迷惑をかけますから。でも私、自死はしたくなかった。ある人に酔っぱらって電話して「死にたい」と言うと、その人の友だちが丁度、病いで亡くなったときで、「そんな簡単に、死ぬって言うんじゃねぇよ!」と強く叱られたんです。死にたくなくても、死んじゃう人がいると知らされたとき、自分の「死」を口にするのは、もうやめようと。どんな形でも生きていこう、ちゃんと自然に死のうと…。
…とはいっても、体の痛みがますますひどくなり、自分が生きていることへの罪悪感で、押しつぶれそうになっていた。姉に電話して、「もう死にたい」って言ったんですね。姉は、「死ねば…」って。感情的にではなく、静かな感じでした。私、覚悟がついたんですね。一番迷惑や心配をかけ、自分の気持ちを理解してほしい人から、それを言ってもらえ、不思議と「悲しい」ではなく、「やっと本音を言ってくれた」「背中を押してくれた」と、安堵感に包まれました。後から聞いたんですが、姉もそのとき、いろんなことが重なって精神的に追い詰められていたそうですが。
そして、自死しようと、醤油を大量に飲みました。


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