依存症が、「生きる痛み」引き受けた

依存症
腹水で体重が100キロとなり、緊急入院

あまりの気持ち悪さと胃の激痛で目を覚まします。もうろうとしたまま玄関を出て、外に歩いている人をつかまえ、救急車を呼んでもらいました。運ばれたのは大学病院です。33歳のときかな…。腹水と下半身のむくみで、体重が100キロを超えて。顔と上半身はガリガリですよ。足のむくみがひどく、歩けなくなっていましたし。

 

家族が病院に駆け付けたとき、病名を告げられました。肝硬変と胃潰瘍、脳の萎縮です。これ以上飲んだら、若年性認知症になるとも。また利尿剤飲んで、むくみがとれなかったら、足を切断するという状態でした。

 

見舞いに来た姉から、「あんなたがお酒を止めるなら助ける。これからも飲むなら、家族の縁を切る」と告げられます。その時、「私、お酒を飲まなくなったら、どうやって生きていけばいいのか?」と思いました。同時に、「もう飲まなくてもいいんだ」とホッとする自分もいる。

 

姉と亡き母に見守られての手術

手術日の前日、怖くてたまらなくなり、姉に電話をしました。「とにかく頑張れ」って言ってくれて。「あなたは私の分まで生きてほしい」という、母親が死ぬ直前に遺した言葉も思い出します。母親が見守っているから死ぬことはない、と自分に言い聞かせました。

 

肝硬変と胃の荒れた部分を切除する手術は成功して、なんとか回復に至りました。

 

しばらく入院していましたが、担当医やケースワーカーさんが、私にアルコールに問題があると気付いてくれたんですね。それで精神科病院に転院する提案をしてくれました。アルコール依存症の患者たちが、依存症について学んだり、自分たちの経験について話し合うことなどを説明してくれるので、入院生活がすごく楽しそうだと思ったんです。転院を決めました。

 

戸惑いしかなかった精神科病院

埼玉県にある精神科病院に入院して、すぐに当惑。患者さんたちが、私に対していきなり怒鳴ったり、泣き出したりしたからです。新入りが怖かったのでしょう。私は、「騙された!」とベッドで泣きました。『17歳のカルテ』を思い出したんですよ。その映画を見て「将来、精神病院に入院する」と予感したことが、現実になったんだって。

 

最初に入ったのは、状態が悪い人がいる病棟でした。お酒はだいぶ抜けていましたが、まだ歩けなかったので。

 

回復プログラムで、「自分」を話す

2カ月目からは、病院外の自助グループに通い出しました。依存症回復プログラムを受けましたが、最初はもう最悪でした。自分のことを人前で話すなんてことが、そもそも嫌なんで。

 

1番初めに出たのが、今主流になってる「言っぱなし聞っぱなし」のプログラムじゃなかった。質問してくる形式です。60代男性の司会者が、すごくつっこんで聞いてくる。正直に話すとと、「なんでそんなに飲んだんだ?」などと高圧的。もう怒りしかない。

 

あんまりつらいので、看護師さんに「もう出たくない」と大泣きして訴えました。すると「出たくなきゃ、出なくていいんだよ」と。その後、トイレで考えたんです。「プログラムを拒否して退院しても、どうなるんだろう? これは多分、自分を変えるいいきっかけになるんじゃないか」って。私の母は、精神病院や自助グループにつながることなく亡くなっています。それを思えば、私、ラッキーなんです。「チャンスを生かさないと、もったいない」と思い直します。

 

プログラムには、積極的に参加するように。多い時は1日2回。泣きながら、詰まりながらも、いろんなことを正直に話しましたね。もう恥も何もない…。話し終わってから、患者仲間や先生も、声をかけてくれるのが嬉しかった。大きかったのは、同じ依存症者の話を聞くこと。みんなも、それなりのことをやってきて、苦しみ、人に迷惑をかけてきている。自分と同じだなと。

 

これまで依存症に対して、ちゃんとした知識もなく、偏見すら抱いていたことが、自分自身を苦しくしていることに気が付いたんです。本当に信頼できる先生に出会え、自分のことを全部話せたのも良かった。女の先生です。もう、引退されたのかな。

 

やりがいあり、楽しかった入院生活

私は、「アルコールをやめよう」と決意してましたが、意外にも、みんながそうじゃなかった。真面目にプログラムやらない人がいるんですよね。団体行動のルールにも従わない。例えば、掃除なら、同じ部屋の人で順番にやってたんですけど、寝ててさぼる。グループ活動をやらない。そういう人に対して、私、ものすごいイライラして。精神科病院内では、カーテンがなく、話し声が遮られません。夜、見てはいけないテレビを1人でも見たりすると、団体責任になるのでなおさらです。

 

私が総務を担当していたとき、いつもルールを守らない男性患者について、先生に相談したんです。当時私は30代で若く、他の患者はみんな年上です。「注意してもいいですか?」と尋ねると、先生が「いいですよ、あなたはおかしいこと言ってない」って。自分の意見に耳に傾けてくれ、認めてくれたのがとても新鮮でした。それで年齢性別関係なく、自分の意見は言おうと決心します。元々、私、空気を読むタイプで、相手の言いたいことを察するばかりでしたから。

 

退院し、お酒が止まっている今だから言えることですが、入院生活は、自分の人生観を変える大きな分岐点となりました。『17歳』のスザンヌのように、几帳面に日記をつけてましたし、プログラムも真剣にやりました。むしろ、回復するにつれ、退院後の不安の方が大きくなりました。日常生活を拘束されてますから、退院は喜ばしいし、「出たい」という気持ちはある。一方で、家族と向き合ったり、生活を立て直したりしなきゃいけない。一番は、お酒抜きのシラフで生きている自分が、想像できないこと。でもここを、あのリサのように「居場所」にしたらとダメだと。

 

女性の自助グループの代表に

プログラムを4カ月受けた後、退院します。「これからが始まりなんだ」と、自分に言い聞かせました。

 

しかし、お酒は飲んでいなくても、順調にはいきませんでした。元々の自分が見えてくる。耐えられず、市販薬を飲んでは吐き、さらに人間関係に依存し出すようになりました。

 

それでどうしょうもなくなり、やっと埼玉県内や他県の断酒会に通うように。断酒会の知り合いも増えた頃、女性の自助グループ『埼玉県断酒新生会アメシスト』の代表をやってみないと声をかけられ、引き受けました。

 

最初に参加したときです。「じゃ、誰々さん、トップバッターで」と始まって、きちきちと進められる。ミーティング中は、誰も笑わず、顔がこわばって怖い印象がありました。

 

やがて私がミーティングの司会を任せていただけるようなってからは、気軽に途中参加・退出できるようリラックスした雰囲気になるよう心がけました。お菓子を食べてもいいし、寝ててもいい(笑)。フラットな関係性と、つながりをとぎれさせないこと。

 

基本的に、自分の話をしてもらう。その場では、愚痴も言っていい。ただ、基本的に人の話は持ち出してはいけない。ルールはそれだけ。お酒だけじゃない、いろんな話がいっぱい出てきますよ。異性の問題、ご結婚されている方でしたらご主人の愚痴、女性特有の身体に起こる問題など。男性がいると話にくいですが、ここではありのままに打ち明けられます。

 

はじめは私、女性だけの会って、苦手意識がありました。回数を重ねるうち、悪くないなって。「女の人って、こういうことで悩んでいたのか」と、改めて驚いたんです。抱えている問題が、1個じゃない。家族全体の問題、子どもの育児・教育、ご主人や姑などの関係など、1日の中で、いろんな顔を使い分けなきゃいけない。男性も大変ですが、女性の方が複雑かなって。

 

アドバイザーの資格も取り、視野を広げる

自助グループでの活動や付き合いは、とても大事にしています。いろんな団体にも参加して、視野を広げるようにもなり、まったく違う分野の催しやグループにも足を運んでいます。

 

2023年9月には、AKS認定の「依存症予防教育アドバイザー」の資格も取得。研修は2日間でしたが、アルコール以外の依存症について学ぶこともできました。受けてみて印象に残ったのは、「自分自身が自分の一番の親友になる」という講座。以来、自分を好きになろうと努力していましたが、ハードルが高すぎる。それで、言葉に出して、1日1回は自分を褒めることを継続しています。

精神科病院に入院して最初に行った自己肯定感のテストの点数が、すごく低くて。今では、だいぶ変わったかな。自分の好きなところですか?… 人が思いつかないようなことを思いつく。ドン引きされることもあるんですけど(笑)。あと、自分の時間を楽しめること。

 

退院後の「飲みたい!」を防いだとき

退院後、お酒に手を出しかけたことがあります。「飲もう」というスイッチが入ると危ない。「お酒を買いに行く」と決めた瞬間、飲んでいる頃の脳みそに一気に戻ったんです。スーパーに入ると、食べ物は一切見ません。一直線にお酒の棚に向かい、アルコール度数の一番度数が高いやつを探す。その時、買ったんですよ。もう頭の中では、「今日1日、これだけの量が飲める」と、1日の飲酒量から次の日のお酒のことまで計算していました。

 

帰宅して「さぁ、飲もうか」と思ったときに、栓を開けられなかった。飲んでいて苦しいときのことが蘇ってきたんですね。いろんな人の顔も次々浮かぶ。飲んで酔えば、きっと電話をかけまくる。実際、そういう人からの電話も、私の方に来てます。受けてみて、どれだけ嫌な思いをするかも分かってる。「人に迷惑かけるのだけはやめよう」と、まず携帯電話を隠しました。

 

「飲みたい」と思って手が出るまで数秒。だけど、ある程度の時間をやり過ごせば収まる、ということもプログラムで学んでいました。「しばらく待とう。それダメだったら飲もう」と腹をくくる。そして、隠した携帯を取り出して、同じ病気の仲間に連絡し、泣きながら話しました。すると「何やってんだ、捨てちまえ!」と。その言葉が、私をこっちの世界に引き戻してくれました。飲まずにすんだんです…。

 

依存症とは?

現在の職場は、依存症者を支援する施設です。私はサポーターであり、日々、勉強させてもらってます。いろんなタイプの依存症の人たちと接していて、「そういう考え方もあるんだな」と発見することが多いです。自分自身の考え方も、受け入れてもらえたりする。ここだったら「いていいのかな」と。

 

ある精神科の先生が、依存症者に対して言ってくれた言葉がいいなと思いました。「丁寧に生きている」って。それが今の私の実感ですね。

 

…「自分にとって、依存症とは?」ですか…う~ん、難しいですね…もう1人の依存症の自分が、元の自分の痛みを引き受けてくれた。だから、生きていられたのかな。

 

(聞き手・ライター上田隆)

 

 

【問合せ】

埼玉県断酒新生会

公益社団法人埼玉県断酒新生会|公式ホームページ

 

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