不登校の子どもに、教えられたこと

不登校

クロストーク

<クロストーク/登壇者 >

母子生活支援施設勤務・保護司 橋本久美子さん

足立区女性団体連合会会長 片野和恵さん

一般社団法人あだち子ども支援ネット代表 大山光子さん

 

家庭・家族すべての環境改善からのレジリエンス

 

なぜ「子どもの意見表明」と「レジリエンス」か

橋本/片野さんのお話は、子どもに対して大人は、「こうしてやろう」と意図を押し付けるのではなく、「ちゃんと声を聞こう」ということでした。まさにそうですね。

今回、「子ども意見表明」と「レジリエンス」の2つのテーマを一緒に取りあげるのは、なぜかと思われる方が、たくさんおられるかもしれません。

まずは、「子ども意見表明」について。第1部で喜多先生が、その支援者の必要性についてお話されていました。実は、私と、「足立子ども支援ネット」の大山さんは、東京社会福祉士会子ども家庭委員会が主催する「子ども意見表明権支援者養成講座」の講師に招かれたことがあります。でも、「支援する人」って、専門職じゃなければいけないのか? 違います。地域の大人たちこそ、子どもから、意見、とくに人生にかかわることを、ちゃんと聞かないと。

それが、第2部で西山さんや勝亦さんが説明された「レジリエンス」につながります。それによって傷ついた心は回復できる。さらに片野さんは、子どもたちのレジリエンスを高めるには、「環境」を整えることこそ大人の役割だと言われます。そのためには、大人自身が、自分の「環境」を変えなくちゃいけない。「底抜けのしない社会」をつくるには、人が人の声を受け入れる「しなやかに、ゆるやかに」という心持ちが大事だなと思います。では、これまでのお話から、大山さんから一言いただければと。

 

揺れる子どもの心が、見えてない

大山/私も、民間のボランティテアとして、「学校」という環境にどっぷりとかかわってきました。5、6年間は、中学校で「別室登校」に携わったかな。学校を拒否しているわけじゃないけれど、「一歩前に進むことが怖い」という声を、多くのお子さんから聞いてきました。今は、小学校で、放課後に「子ども教室」で過ごさせてもらっています。

 

小学1年から、不登校になる子はいますよ。入学式に行ったきり、「もう行かない!」と。保護者は必死です。必死に行かせようとするけど、子どもは「行きたくない~っ!」。でもね、今、どこででも勉強できちゃうじゃないですか。「大山さん、ボク、YouTube見ているから!」って言いますよ。そういう子どもたちと話すのは、大得意なんです。いろいろなことを聞きますし、聞き出します。もう、空想、夢、宇宙…の話までも。子どもたちは、ちゃんと言葉、意見を持っているし、年齢相応に話す。人材なんです。本当に、1人の人間なんです。

 

「不登校」というのは…その言葉も嫌いだけど、「自分の生活は自分で決めていい」と子ども自身が選択する道の1つだという気がする。でも、「今日一日、何する?」と、保護者は言えないですよ。「学校へ行きなさい!」、それだけ。「朝ごはん食べなさい!」「帰ってきたら、宿題しなさい!」。スケジュールを全部、保護者が決めちゃっている。でも、違うでしょって!

 

小学生が、遊びながら私に発する言葉は、本当に素直です。でも、中学生、思春期を迎えた子どもたちの言葉は、揺れています。「自分の身体の成長の変化が怖い!」「人が怖い!」と、 もうワナワナ震えて、友だちのいる教室に入っていけない子がいる。一歩が進まないんです。その微妙な感覚ね。成人してしまった大人は、不思議な気がして、きっと分かんない。特に学校の先生方は、分かんないと思う。

 

素で子どもたちと接して、居場所づくりをして、なん10年になると、揺れる感覚って、それはそれでいいんじゃないかと思う。子どもは、体、心、頭が成長していく中で、一生懸命闘っている。だから、他人様とコミュニーションするのは大変です。自分なりにバランスを取って、気持ちを高めている。でも、傷つけらると、一気に落ち込んで、ひどく自分を卑下する。卑下したまんまじゃ困るから、学校の先生も大人も支援者も、取り囲んで「がんばろうよ!」って励ます。だけど、本人はどうがんばったらいいか、分からない!

 

「大人の言葉」は、子どもを傷つけていないか?

大山/今、「レジリエンス」という言葉が、社会でようやく意識されるようになりました。本日、このテーマについて知識を広げ論じ合い、みなさんと、とても良い時間を過ごしています。ただ、「レジリエンス」という言葉を、子どもたちにどう正確に伝えるか? 難しい。大人側の「言葉」だからです。「虐待」という言葉もそう。子どもに向かって、たとえ支援者であっても、「あなたは『虐待』されていますか?」と聞けます? 聞けないんです。学校の先生も、聞けないと思います。子どもたちは、その強烈な言葉の響きは感じているし、大人側の「否定的な見方」は分かっているからです。だから、子どもを深く傷つけます。良い言葉でも悪い言葉でも、「大人の言葉」は、子どもの心に正しく届かないことを、常に意識しないといけない。大人が、子どもの目線に立って、本当の意見、気持ちを「聞く」って、とっても難しいことなんです。

 

学校は「幸福度の高さ」を指標にすべき

大山/子どもたちは、とても悩んでいます。文句を言ってしまえば、とくに今の学校制度に対しては! 片野会長も、学校に入っておられますが、学校って「暗い」と思いません? もう少し、明るくなればいいのにって!「伸びやかに、明るく」ということがない。失敗しても、許してもらえる、アドバイスが飛んでくる、そんな楽しいところだったらいいのに。学校に、先生に、子どもに向き合う「余裕」の時間がない。だから、どんどん不登校が増えている気がします。

 

片野/学校にいて「楽しい」「幸福度が高い」というのは、オランダの子どもですよね。学習指導要領が、日本の1/3ぐらいしかない。日本では、2025年に学習指導要領が変わって、「主体的な学び」が取り入れられてます。でも、あれだけギチギチにスケジュールがつまっていたら、主体的な学びなんて難しいんです。しかも内容的なことが、すべて先生に丸投げされている。先生自身、新しい指導法を学んだわけでも、体験しているわけでもないのに。

また、こんな話も聞きました。あるサポーターの方が、地域から学校に入って、支援の仕事をするなり、とても驚かれた。自分が子どもだった昭和時代の学校と、何も変わってないと。平成、令和を生きる親御さんや子どものニーズと、今の学校がまったく合っていない。「学力を上げていく」というよりも、まず「楽しく通える」というのを指標にしてほしいです。

 

情緒障がい害の学級の「固定級」を東京都に要請

片野/「足立区女性団体連合会」としては、「情緒障がい学級」を「固定学級」としてつくってほしいと、昨年6月、足立区に要望しました。しかし都は、「『通級(通常の学級に通いながら特別支援教育を受けられる制度)』を、都内のすべての学校に設置したので、必要ない」とのことでした。しかし、東京でも西側は、割と情緒障がい学級があり、そこで学んでいた子が、東の方に転校すると、とまどうわけです。今まで、1学級6人ほどでまったりしていたのに、いきなり30人となり、登校できない子が出てくる。その状況を東京都議会にお伝えすると、何人か議員の方々が動いてくださり、墨田区の学校で実現したんです。それで、先日、足立区の教育委員会から問い合わせの連絡が入り、私たちの方からお話させていただく機会がありました。まだ足立区で設置されるかは未定です。しかし、喜多先生も言われていたように、こうした行動が、子どもの声を代弁していくことかなと。大山さん、どうですか?

 

「ヤングケアラー」を救う難しさ

大山/まさしく、そうですね! ただ、今、私が懸念しているのは、親の「情緒障がい」に悩む子どもたち、「ヤングケアラー」が増えていることです。

発達障害を持っている…「障害」って言いたくないけど、少し特異性のある、ある保護者の方が、子どもを育てています。そのお子さんは、自分で児童相談所に逃げ込む。5、6年前から、もう何度もです。当然、児童相談所は保護義務があるので、預かりますよね。保護者の方は「家庭生活のこことここを改善してくださいと。でなければ、お子さんを戻すわけにはいきません」と指導される。私は「努力しなさい」と背中を押しますが、なかなかうまくいかない。結局、子どもが家庭に戻っても、夫婦喧嘩が始まって、また逃げることに。そうやって育った子だから、「普通」にはなんないですよ。特別支援学校に行くしかなかった。勉強は苦手でも、健常な生活はできるんです。でも、安定した環境の中で、自分を成長させられない。そういう家庭の子を、どう支えていったらいいか。

 

支援制度の整備こそ、先に必要

片野/重要な問題ですね。子どもは、家庭環境を選べないので。大山さんがあげた事例のお子さんは、支援施設に入った方がいいケースでしょう。しかし、数年前に区長が、「まず学校こそ、すべてのお子さんのプラットフォームにしたいと」と言われていました。ただ、いざ地元のNPOに参加して実情を見ると、専門の支援者や施設が対応すべき複雑なケースがあまりにも多い。解決しても解決しても、学校は次々と新たなケースを抱えてしまい、どうにもできない。また、責任を、「家庭」か「学校」かに押し付け合うことも多々あります。

喜多先生が、「子どもの代弁者に、まず親がなるべき」と話されていましたが、実際にはとても難しい事例もあります。大山さんも例に出されましたが、とくに心身に障害を持つ親御さんの場合です。家庭生活のしわ寄せを背負い、「ヤングケアラー」状態にある子どもが、外に「SOS」を発せられればいいんです。しかし、発せられないとき、外部からの支援を、子ども本人が望むのかそうでないか、判断に悩むところがある。今後、「困難家庭に、どんどん医療ケアを入れていきましょう」ということになります。ただ当事者である保護者やお子さん各々の意志を ちゃんと汲みとり、しかも適切なケアを行える人材自体が、はたして存在するのか。「子どもの代弁者育成」の前に、まず支援体制の整備が必要ではないかと思っています。

 

先生は「見えない仕事」の山に疲弊

片野/学校の現場を目の当たりにすると、先生は本当に大変です。これだけ、子どもたち、親御さんたちが変わって来て、その対応に要する時間は膨大なもの。「教諭の仕事が多い」とよく言われてますが、「事務仕事」以上に「目に見えない対応」が求められます。例えば、朝の始業前、教諭は職員室で動けなくなることがある。お子さんが欠席される際、親御さんから知らせのメールを受ければ問題はありません。しかし、親御さんが連絡を忘れ、お子さんが学校に姿を見せなければ、教諭はその家に直接電話して、確認を取らなければならない。通学中にお子さんが、事故に遭遇しているかもしれないからです。対応している間、教諭は職員室にいて、教室へは生徒たちを待たせている状態に。こうしたことも、なんとかしなきゃいけない。家庭と学校が、どうやって補完し合えるか。

 

大山/本当にそうだと思いますね。みんなで高め合っていかないと。子どもの成長を支える環境は「子どもの権利」だとしても、まず現状の問題を解決しないと、前に進まない。今日、参加のみなさんの中にも、いろいろご意見をお持ちだと思います。ぜひ、何かご発言、ご質問ください。

 

「あちらさん」「こちらさん」でもない立ち位置

橋本/私は、「子ども意見表明権支援者養成講座」で、「親はちゃんと、子どもの声を聞いてるの?」と問いかけました。「子どもの気持ちを聞くには、子どもにとって、真上の親とか先生でもなく、真横の子どもでもなくて、ちょっと斜めな俯瞰した大人が必要なんだね」と、その講座で、大山さんと熱く語ったことを思い出しました。

また、先ほど、大山さんから、「子どもに『虐待されてる?』と聞けるのか?」と。もちろん「虐待」なんて言えません。でも専門職の支援者の中には、平気で聞いてしまう方もいる。どうしても(支援対象としての)「あちらさん」の問題にしてしまう。(わがこととしての)「こちらさん」の問題じゃないんですよ。本当の意味で、大人が子どもに寄り添うには、「あちらさん」でも「こちらさん」でもない、どこか危なっかしい刃のエッジの上に立つ感覚が必要じゃないのか。

 

大山/会場は16時で終わりますが、今、中学生が片付けてくれてるので、後もう少し時間を伸ばせます。みなさん、何か声をいただければと。

 

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