不登校の子どもに、教えられたこと

不登校

ルポvol.62-4【不登校】

どうしても教室に入れない…。そんな不登校の子どもたちを 見守ってきた片野和江さん。足立区小学校の民間「登校支援サポーター」としての見聞を基に話された「目からウロコ」の講演内容を以下にまとめた。会場でうかがって、不登校児の対応が非常にデリケートなこと、かつ、学校の過酷な状況に、改めて驚かされもした。

その考察が実際的で複眼的なのは、片野さんの多彩な肩書が物語る。シングルのお母さんとお子さんを支えるNPO法人「LILA子どもの学びを支援する会」代表にして、「足立区女性団体連合会会長」、さらに、民間の英語教室の経営者にして、「登校支援サポーター」という一ボランティア。その実態は…子どもや家族の現場を踏まえ、民間と行政の間をつなぐ人。片野さんが不登校児に教えられたのは、「子どもの復元力を信じた環境整備の必要性」だと言う。さて、どういうことか?

ご本人の講演の後には、「足立子ども支援ネット」代表の大山光子さん、母子支援施設勤務・保護司の橋本久美子さんを交えたクロストークも行われた。そこでは、「環境整備」の背景と意味が、多角的に深堀りされていく。

※講演は、2月11日、足立区役所庁舎ホールで開催された、シンポジウム「こども”ど真ん中”プロジェクト2024」(主催/一般社団法人「あだち子ども支援ネット『未来へつながる実験室』」)にて行われたもの。

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<講演/片野和江さん>

国内外の子ども支援と、英語教室の経営

足立区女性団体連合会」会長をしております片野和恵です。連合会長の肩書でご紹介いただいていますが、本日のテーマは「レジリエンス」。そこで「子ども自身による心の復元」について、今、個人として参加している小学校内での「登校支援サポーター」(別室支援)のボランティアを通して、生徒たちが教えてくれたことを中心にお話します。

 

その前に、私が何者なのかを申しますと、民間の英語教室を、外国人と日本人の講師と一緒にやっておりまして。1991年の設立ですから、もう30年以上に。一方で、国内外で子ども関連のボランティア活動を続けています。そのきっかけは、1991年、タイで絶対貧困の子どもたちを支援したこと。2005年にはインドネシアの村に図書館を併設した児童館を設立しました。

 

足立区では、子どもの相対的な貧困が話題になったとき、ある方に支援活動を薦められて、2013年NPO任意団体「リエゾン・アダチ」を立ち上げます。2015年に法人化し、NPO法人「LILA子どもの学びを支援する会」に。「LILA」では、主にシングルのお母さんたちを支援。児童扶養手当を受けているそのお子さんを対象に、学習支援、スイミングレッスン(無料の送迎付き)、サマースクールなどをやらせていただいています。そして2019年から、この足立区で「登校支援サポーター」として、小学校にかかわるように。

 

「登校支援サポーター」に至るまで

実は、英語教室を始めた頃から、不登校の生徒たちに関心を持っていました。学校に行けない原因はさまざまですが、「学校に行きたいんだけど、行けない」と、子どもたちからよく言われたんです。「では、どうやったら、行けるようにできるのか」と考えまして。ちょうどあるNPOが、高校生支援サポーターを募集していたので、「ハイ」と手を挙げ、短期間でしたが、学校に初めて入ってみます。実際にいろいろ経験してみて、不登校の子がいきなり学校に通うのは、本当に難しいと実感しました。近場に、その子たちが行ける、学校以外の居場所が必要だと思ったんです。それで場所を提供してくださる方を見付け、まず場所をつくる。それから足立区の教育相談課の窓口に行き、「不登校児を支援できる学校はありませんか?」と相談すると、ある小学校の「登校支援サポーター(※)」を紹介してくださり、現在に至ります。(※登校支援サポーター/足立区教育委員会教育相談課の会計年度職員。お迎え支援と別室支援がある)。

 

不登校は、経済問題でもある

2020年に「足立区女性団体連合会」の会長に就任してからも、いろんなお母さん方から話をうかがうことに。ある方から「何が一番怖いかといえば、子どもが不登校になること」という声をいただく。「どうしてですか?」とお聞きしたら、「シングルなので働けなくなり、生活が成り立たなくなる。まだ子どもが幼く、家に1人では置いてはおけず、かといって預かってくれるところもない」とのこと。実際、食料支援を受けているお母さんで、お子さんが不登校になり、生活保護を受けられるようになった方もおられます。「不登校」の問題って、意外に生活に密着して、女性が抱える問題でもあるんだなと。

 

海外の学校を訪問して「教育」を学ぶ

教育に関しては、アメリカ、フィンランド、オランダなどの学校に足を運び、多くのことを学びました。アメリカの学校を訪れたときのことです。ある先生が言われたのは、「人は誰でも、自身を高めたいという夢を持つ。だから大人は子どもを信じ、成長する環境を整えなければならない。すると、子どもは自分の『芽』を伸ばすことができるように」と。ハッとしましした。自分はこれまで「先生」として一生懸命「教える」ことをしていましたが、「それは違うんじゃないか?」と自問したんです。また、先生からは、「その子が、何を言おうと、どんな行動をしようと、本当の姿を見定めなさい。表面の言動に惑わされないように」とも。これらのアドバイスは、今でも私の指針になっています。

 

外国の教育から目を開かされたのは、30年前にさかのぼります。英語教室の生徒を引率し、「ギフテッド教育(intellectual giftedness/英才教育)」を行う学校を訪問したときのこと。当校の先生から、「あなたが連れて来たこの生徒さんは、『LD(learning disability/学習障害)』や『発達障害』じゃないの?」と指摘され、すごく驚いたんです。「あぁ、自分でもっと勉強しなきゃダメだ」と反省。帰国後、通信制の大学院教育と大学院の授業を受け、教育学と特別支援心理学をそれぞれ取得します。学んでみると、まさに「目からウロコ」のことばかりでした。

 

レジリエンスを高めるには、「環境」を整えること

大学の授業の中で、「レジリエンス」につても学びました。「保育のレジリエンス」で著名な小原敏郎先生の海外研究からは、「子どもの心の復元力は、個人と環境の相互作用で生まれる」と習います。これは、アメリカの学校で出会った先生の言葉と重なるわけです。インドネシアで学びの場をつくったことも、この考えが大きく影響しています。

 

いろんなことを経験してみて、自分なりの仮説を立ててみました。「レジリエンスは、すべての人に備わってるが、個人差があるばかりてばなく、その個人のうちで、高くなったり低くなったりするのではないか」。だからこそ、レジリエンスを高いまま保つには、安定した環境を整えることが大切になります。

 

その仮説から考えても、不登校の子どもたちが、馴染めず安らげない環境である「教室に入る」ことは、意外と大変なわけです。むしろ無理強いにしろ「入る」こともできる子どもは偉い、いや順応性のある子どもだからできるのかなと。例えば、日本人の大人が、まったく素養のないアラビア語の授業を、6時間ずっと席について聞き続けられるのか? 無理ですよね。「教室に入る子どもたちの気持ちを、まず分かりなさい」というのは、特別支援教育の場で教えられたことです。

 

子どもに対しては、否定的でなく、常に肯定的な面を見ること。不登校の最中であれば、「学校に戻った」「戻らない」で、一喜一憂してはダメなんです。大人は、シンクロナイズスイミングで選手が水面下で足をバタバタさせるように心乱れても、水面から上の顔ではにこやかにしていないと。いつも「大丈夫だよ」と子どもに語りかけ、安心させることです。

 

行政と民間をつなぐ立ち位置で

この表(会場スクリーンに映される)は、「現在の足立区の不登校支援 全体図」です。ホームページで公開している「足立区における不登校対策」(足立区教育委員会)から引用したもの。「不登校または登校渋り」の子として、「登校できる」「登校できない」の2つに分かれています。私は、「登校できる」項目の中の「教室に入れない」子をサポートする別室を担当しているわけです。これは区がやっている事業ですが、民間NPOで行うところもあります。

 

区は今年2025年3月に、民間団体が運営する居場所がどの程度あるかを調査しました。その準備として、昨年2024年12月に活動団体をヒヤリングし、今年3月に交流会を開催。行政としては、こうした機会を設けないと、子どもたちがどこにいるか把握できなくなる。一方で、官民が共に、網の目のように居場所をつくっていくこと自体は、大変良いことだと思います。

 

ただ、不登校の子が、自分から「学校に行こう」「教室に入ろう」という気持ちにしていくことは、非常に難しい。学校と支援者、保護者の密な連携が必要になります。私の立ち位置は、学校と民間の間。だから、学校でやっていることを民間に伝えられるし、民間から得た声を学校側に上げることができる。

 

両方につながって良かったなと思えた事例があります。スクールカウンセラーから、「夏休み明けに不登校になっている子がいる。民間で『LILA』という学習支援しているところがあるが、どうだろう?」との相談を受けました。「あぁ、私がやってるとこですよ!」と(笑)。早速、その子を担当させてもらいました。3カ月間の給食時間のみの登校から始まって、少しずつ別室に行きつつ、教室にも入る。放課後は、LILAで学習します。その子は、昨年4月から学校に通えるようになりました。

 

本人の「行ってみようかな」を待つ

「こうしよう」「こうしてやろう」という大人の意図は、必ず子どもに伝わり、絶対失敗する。私は、ハードルを上げるか下げるかは、子ども自身が決めていいと思ってます。「教室へ行きなさい」と迫るよりは、「今日、どうする?」と聞く。「行ってみようかな」となったとき、その子の気持ちを、教室の先生や子どもたちが、あたたかく迎えてほしいんです。一度でも「行けた」という経験を得れば、継続につながり、回数も増えていく。

 

子どもは、自分で選んで進む時に、すごく力を持ちます。逆境に向かって復元していく力を実感できると、早い子で3日で行けるように。長い子で、2年ぐらいで完全復帰。その子の場合は、とにかく1日3時間だけ学校で過ごす、ということを1年継続しました。復帰のタイミングは、結局、本人にしか分かりません。

 

不登校の状態が長く続いて教室に入れないのは、心が傷ついて、疲れ切って、復元できないサインなんです。行き渋るのに教室に入れられたある子は、帽子を深くかぶって、目を隠しました。心を閉ざしてしまってる。無理に引っ張ったりしないで、まず「ヘルプ」を出させて、それを受け止めてあげることが、とても大事です。

 

「どうしてほしい?」と、私はよく尋ねます。ある子は、「学年主任の先生に会いたくない。ある言葉に傷ついて、教室に入れなくなった。でもこのことは先生に言わないで」と打ち明けました。「でも学校の誰かに言わないと、解決しないよ」と諭すと、「副校長先生だったらいい」と。それで副校長先生に直接面談してもらい、解決しました。この子のように、「教室に入れない」けど、「入りたい」という子はたくさんいます。

 

「遊ぶ約束をするための学校」もOK

ただ最近は、登校渋りの子に対して、「無理に登校させてはいけない」と、腫物に触るような対応が強くなりすぎている。その子が本当は登校したいのか、登校したくないかを、その場の「行きたくない」の言動だけにフォーカスして判断してしまうことに、私は怖さを感じています。学校に行って、友だちと遊ぶ約束だけして、帰ってきてもいい。家から出られなくなったら、もうなかなか大変なんです。

 

子どもにとって、学校に行く理由の第1は、「友だちと遊ぶ約束をするため」です。「勉強」ではない。私自身は、勉強はいつでも取り戻せると思っています。ただ、社会の中で育まれるさまざまな経験は、学校でなければできないこともたくさんある。だから、本人が、学校に戻りたいという気持ちが少しでもあるのなら、それを支えて上げたい。

 

今、足立区では、不登校支援の対象が、どんどん低学年化しています。とくにコロナ禍以降、小学1、2年生の行き渋りが、すごく多いです。でも、子どもの心は柔らかい。大人がすべきことは、子どもの復元力を信じて、環境を整えて、レジリエンスを高めること。そのことを、私は子どもから教えてもらったと思っています。

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