中高生が、「向き合い」「対話する」居場所を

居場所

<インタビュー・中島正行さん>

おじいちゃんのカメラが、写真の世界へ誘う

僕は、生まれも育ちも、東京・両国です。幼稚園の頃から、ずっとおじいちゃんが大好きでして。人形町・浜町で、魚屋をやってたんですよ。趣味は写真なんですが、週末になると山梨に行って富士山を撮りに行く。撮影スポットまでの山道沿いに、地下水がチョロチョロと湧いてますが、そこから水を汲んで、車いっぱいに積んで持って帰るのが習慣でした。おじいちゃんの飲み水は水道水ではなく、山の水だったんです(笑)。

 

写真を始めたのは、おじいちゃんがきっかけかな。僕が中学生になると、出歩けなくなったので「カメラを貸してあげよう」と。フィルムの一眼レフでした。まず近くの公園を、夢中になって撮りました。「カシャン、キュイ~ン! 」という音を聞くだけで、もう楽しい。純粋に、メカメカしい物のかっこ良さにはまった感じでしたね。

 

だんだんのめり込んで、いっぱい撮っていく。鮮明に覚えているのは、僕の家の近くの土手に咲く花を撮っているときでした。花びら1枚1枚をズームしたいのか、全体に溶け込んでいる1輪の花をとらえたいのか。カメラを、近づけたり引いたりしますが、どれも満足いかなくて。「じゃぁ、僕は、いったい何が撮りたいのだろうか?」 という切実な疑問がわいてくる。「写真」というものが、まるで鏡写しのように、「自分って何なのか?」という問いを突き付けてきたんです。

 

大学時代、メンタルを病んだ友だちに寄り添って

高校生のときもそうでしたが、大学生の頃から、友だちに相談されることがより増えました。付き合った別れたといった恋愛問題が多い。親のこともしかり。また、小学校から仲の良かった友人は、精神的に病んでしまったことで、いろいろと悩みを受け止めることに。メンタルを病んでバランスを崩す人たちが、僕のまわりにメチャメチャ多かったんですよ。「助けて」と言われても、助けることはできない。話を聞いて「そうだよね」と、一緒に寄り添うしかありませんでしたが。

 

あるとき、気付いたんです。こうした人たちの多くが、「何かを創作したい」と突き動かされる時期があって、そこでうまく「形」にできていないと。アーティストの方ってそうですが、自分や社会に対する違和感に対して、鋭敏に反応できる能力を持っている。しかし、ときに感じすぎてしまい、反応の閾値を超えてしまう。すると、バーンと体に現れたり、心を病んでしまったり。そこをコントロールすれば、何かを生み出す、すごく素敵な力になるんじゃないか。でも、「周りの常識と合わせなければ」と自己抑制する。それで、自分の気持ちが分からなくなってしまう。何を食べていいか、何を話していいか、学校へ行ったらいいかも分からない。親の「こうしなさい」を、ずっと引きずっている。彼らの姿を見ていると、すごく悔しくなる。本人に対するいら立ちでもない。社会に対してか、自分に対してか、とにかくやるせなくなる。こんな気持ちが、僕の全ての出発点だったような気もします。

 

大学で「脳科学」目指すも、一般会社に就職

…大学の 専攻ですか? 脳科学分野、ニューロサイエンス(神経科学)をやってました。元々SFアニメが好きで、小学生の頃はアニメ『電脳コイル』に出てくる「電脳メガネ」に夢中に。脳の情報がコンピューターに反映され、バーチャルリアリティの世界に行く、というストーリーです。そんな子ども時代の憧れから、「マシーン・ブレイン・インターフェイス(脳と機械をつなぐ装置)」の研究にかかわりたいと、山奥の大学に行ったわけです。志はありましたが、結局難しすぎて挫折しました(笑)。一方で、写真に打ち込んだ学生生活でもあります。

 

進路の選択では、いろんな人から話を聞いたり、悩んだり。気づいたら、大学5年を迎えてました。1年だぶってるのは、バックパッカーとしてヨーロッパを巡ったからです。帰国後、のんびりしてたら就活の時期に。ぎりぎりの8月、たまたま大手電機販売店に受かった。なんとなく就職したわけです。

 

仕事はすごく良かった。でも、大学時代を通して続けていた写真で、「何か表現できないか」という切実な思いが、どんどん擦り切れ、失われていることに気付きます。それで、大学で小さな芸術祭を企画してきた仲間と、「また何かやりたいね」と。ただ、イベントをやるにしても「ハコ」がいる。「いちいち借りるのもお金がかかるし、面倒くさい。じゃぁ、賃貸を借りちゃうか」という話になりました。ちなみにその仲間は、後の「らんたん亭」の前副代表となる菊池弘美さんです。

 

らんたん亭のこけら落しは、「パレスチチナ」

物件のイメージは、「アート的なことをやりやすい」と「おばあちゃんち(の家)みたいなところ」の2つ。場所が足立区というのは、訪れた不動産店が、たまたまここを紹介してくれたから。下見に来たとき、すぐに気入りました。間取りというか、仕切りがなかったことも、人が交流するスペースという前提では、とても良い。住宅街にある古い平屋の民家なので、まさに「おばあちゃんち」という佇まいでしたし。

 

入居して間もなく、「らんたん亭」は走り出します。こけら落しは、「パレスチナのことを知ろう」という異文化交流会。開催日は、2021年9月11日です。企画したのは、副代表の菊池さんと、「架け箸」代表の髙橋智恵さんとのコラボイベントです。これは高橋さんのプロジェクトで、オリーブ(地元の農産品)の木でお箸をつくり、日本で販売する支援活動です。イベント当日は、現地で民族舞踊を舞うパレスチチナの人たちをネットでつなぎ、こちらの参加者たちと一緒に踊るというもの。展示も行い、とても盛り上がました。

 

「何がしたいのか?」を2年間、自問する

会社勤めのまま活動を始めてから半年間、悶々します。当時はコロナ禍で、「子ども食堂」はできず、イベントだけやってました。どうしても開催日が土日になる。僕は販売員なので、土日が稼ぎ時だから出社せざるを得ない。「らんたん亭」にかかわれないので、菊池さんに運営を任すしかない。自分としては本末転倒で、どっちつかず。考えた末、会社を辞めて、活動に専念することに。お金のことは、考えてなかったですね。ちなみに、間もなく菊池さんが学業のため海外へ行ってしまったので、島井さんというボランティアの方と一緒に事務を行いました。その後、現在の事務局長のみき (中島(旧姓・川上)美喜)さんが業務を引き継いだ形となります。

 

それから「らんたん亭は、何がしたいのか?」というミーティングが、2年続くんですよ(笑)。元々「何がしたいのか?」なんて意味がないところをつくったのに、その場所に「何が?」という問いを持ちかけるという、すごく複雑なことを始めてしまって。でも、その過程の中で、最初にお話ししたような、自分自身のこれまでの歩みを振り返ります。写真で成長したこと、いろんな人から相談を受けたこと、アーティスト気質を持つ悩める人たちの姿、その人たちが「内発性を取り戻せば、社会と共存できるのでは」という思い…こうしたことを、少しずつ言語化していきました。

 

「対話」と「中高生」に、たどり着くまで

やがて、テーマを「内発性」に絞ります。それをサポートする上で、われわれがやれるのは、「居場所」と「きっかけ」というステップだということが、だんだん分ってきた。心のレベルがあるとしたら、僕は、「マイナス」から「0」までを受け持てる。「もう死にたい」から、「別に生きているのは構わないし、ぼ~っと生きていける」まで(笑)。一方で、事務局長のみきさんが得意なのは、「0」からスタートして、夢に向かって走っていく「100」まで。「やりたいこと」を言語化させて、「じゃぁ、実際にどう動いていこうか」と伴走していくわけです。前者が「居場所」(中高生カフェ)、後者が「きっかけ」(「寺子屋」「表現の場」)に該当するわけです。

 

その上で、「メインミッションって、何だろう?」と、スタッフで話し合いました。たどり着いた結論は、「人が人らしく生きていける社会を模索すること」。さらに言えば、「自己実現をしながら、社会と協調できる人間形成」。それを実現した人が、「本当に豊かな人」なんじゃないかなと。ただ、こう言語化しても、まだ抽象度が高い。

 

では、そんな人を、どう育てていくのか。僕の体験では、人と繋がって、「対話」することが、自身の成長につながった、ということです。「対話」によって、自分の心の奥底の言語化できていないものを「言葉」にして発することができる。今度は、その「言葉」を受けとめた相手が、自身の心の奥底を通して、新たな「言葉」をこちらに返す。こうした「対話」とは、パートの異なる演奏者たちによるジャズのセッションのようなもの。個々の言葉が発する「表現」の打ち合いによる、一つの芸術行為だと思います。だからこそ、自分と相手が、本当の「絆」をつくれる。この根源的な人間関係の中で、自己実現をしつつ、他者の集合体である「社会」と協調して、強く生きる人間になれるのではないか。その土台づくりを、目指していこうとなりました。

 

「なぜ、中高生?」ということですね…。「対話ができる居場所にしたい」となったとき、「それができる最低年齢って?」と考えたんです。すると、「中高生からだよね」と。この年齢になると、「自分」と「世界」との関係がちぐはぐになり、その違和感が強くなる。でも、うまく言語化できずに、もやもやしてしまう。だからこそ、「対話」が切実に必要になる。当初から「中高生支援をしよう」というわけでもなく、「貧困」をテーマにした「子ども食堂」の思想とも違う。「中高生限定の子ども食堂」が、ほぼ世の中に存在していないのに気付いたのは、後の話です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました