「人とのかかわり」を克服した定時制高校
20歳にして、定時制の東京都立飛鳥高等学校に合格。4年コースが普通ですが、僕は3年コースを選び、集中してみっちりやりました。
教科は、英国数理社。社会は、世界史・日本史の歴史系と、政治・経済の公民系が学べました。数学は、数学ⅡとBを受講。それぞれの先生は、熱意もあり、とても分かりやすい教え方をしてくださって。
生徒の人数が少ないので、ここも「一対一」という感じ。そもそも僕は「一斉授業」より、この形が合っているようです。分からないことも直接聞けたのが良かった。「おっ、このミスは、伊吹らしいなぁ」と、否定しない教え方も安心できるものでした。生徒と先生の距離が近い。幼少期の僕なら、人がぐいぐい来られたら引いてしまったでしょうが、幸いバイトで慣れたのかなと。
学校に行けてない時期から、人とかかわりたかったんです。「怖い」けど、「楽しく話したい」というのは、いつも心の中にあったんですね。話すスキルがないから、いつも諦めてしまう。なんていうのかな…僕の「卑屈さ」は、もう筋金入りで、かなりひねくれていた。すぐに「ムリだよ、どうせ」「僕なんか、ダメなんだ…」となる。
進路を照らした灯は、「言葉」
定時制高校では、3年初期まで「進路希望」を全部白紙で出しています。「僕は何になりたんだろう?」「何もない僕って、何なんだろう?」と悩みました。やがて、佐久間さんの影響もあり、自分のような不登校児を支援したいなと。最初は、「心理カウンセラーを目指そうか」と考えます。調べると、大学院までの進学が必要だと知りますが、そんな学費があるはずもない。不登校の支援だったら、高校卒でもできるのかなぁと思い至ったんです。
学校で学ぶうち、「国語」に関心がより深くなりました。とくに注目したのは、「言葉の力」。使いようで、毒にも薬にもなる。僕の場合は、言葉をわざわざ「毒」にして、強制的に摂取し続けていた(笑)。やっぱり、正しい言葉遣いをして、意図を正しく伝え、かつ受ける、というのが、コミュニケーションにおける一番大切なことなのかなと。
中華料理屋さんのバイトで、印象的なことがありました。働き始めて1カ月目の頃、電話応対て、相手のお名前を「誰ですか?」と聞いてしまう。あいにく常連さんで、「長い付き合いをしてるのに、『誰ですか?』とはどういうことだ!?」と強く叱られました。以来、その方は、オーナーに直接注文するようになり、それが3年ほど続きます。店のみんなから、「なかなか許されないねぇ~」といじられまして。言葉って、たったその一言でとりかえしがつかなくなると痛感…。
やがて「国語教師」を志すことにし、大学に進む決心をしました。

大学で「文学」学び、チャレンジスクールの教員目指す
東洋大学の「日本文学文化学科」を選んだのは、国語教師になれるコースが、ここしかなかったからです。文学を通して学ぶのは、「教えるための言葉」であり、「コミュニケーションのための人間理解」です。
今、ゼミにて、夏目漱石の『こころ』を用いて、「ディスコミュニケーション」をテーマに。登場人物の「先生」が発した「言葉」がきっかけで、友人「K」を悲劇的な結末に追い込んでしまうプロセスを、みんなで議論しながらたどっています。肉体の傷なら癒えても、むしろ言葉で刺した心の傷は癒されることなく、どんどん悪化していくことが鮮明に描かれて、慄然となる。将来、子どもたちに文学作品を用いて、「こういう場合、どうしたらよかったのか?」「自分たちだったら、どうするべきか」と問いかけ、一緒に考えていければなと。
学んでいるのは、古文も多いですね。平安時代の『源氏物語』や『更級日記』、和歌など。近現代文学も扱います。島崎藤村『夜明け前』や二葉亭四迷『浮雲』などもやりました。必要なスキルとしては、作品理解を深めることはもちろんですが、表現法や文法といった学術的な面もしっかりマスターしたいと猛勉強中です。これまで頭の中がスカスカだったので、スポンジみたいに入りますね(笑)。
今、高校教師の免許取得に向けて頑張っています。「チャレンジスクール」の教員を希望してまして。地元足立区にもありますが、同スクールは、不登校や中途退学などを経験した生徒たちが通える高校なんです。「不登校12年でも、ここに立って教師をやってます」という自分の姿を見せることで、子どもたちや保護者の心を軽くしてもらえたらと。
義務教育を受けなかったことで
僕は、自らの経験からしても、学校に行けなくとも、他でカバーできればいいと思っています。ただ、行かないことで得られなかったことも、やはり実感しています。
まず、義務教育で得られたであろう一般教養が、どうしても抜けていること。もしそれがあれば、今得た知識が、ストックしていた知識に連鎖的につながり、学びがより深くなっていったでしょう。また、当時、ニュースを見て知識としては知っていても、その時に起った世の中の動きが、リアルに自分の中に入っていない。
もう1つは、コミュニケーションの機会を失ったこと。同年齢の友だちの付き合いはもちろん、部活での「先輩後輩」といった上下関係、また先生など大人とのかかわり合いを経験できなかったのが残念なんです。日々、学校内で、いろんな人と会う、というのが貴重ですよね。
これらのことは、学校に行けば、ある程度享受できる。「行かない」という選択をしたら、別の案を考えなきゃいけないのでしょうけど、それは保護者にとっては大変です。「学校は、手っ取り早くいろんなことを学べる場である」ということは、やはり大きい。
子どもの「どうしたい」を支える教師でありたい
「学校側に、どういうアプローチがあったら行けたか?」ですか…そうですねぇ(しばらく考えて)、当時の僕は、本当に手がつけられないような子でした。すごくわがままなことを言いますが、たぶん手取り足取りで、こちらが傷つかないように献身的になってくれたとしても、行けなかったと思います。本当に漠然としてもの、なんていうか、拒否するものがあった。「行けないものは、行けない!」と。
大学での教育学の授業では、悩む生徒に対して「傾聴せよ」と学びます。その上で、「同意」して「提案」することだと。でも僕は、やはり本人が「どうしたいか?」ということを問うことが先決だと思っています。厳しいことかもしれませんが、手を伸ばしてくれないと、やはりつかめない。ただ、一端手をつかんだら、僕は諦めず、励まし続けたいです。1回2回3回…100回でも頼られて、結局「できません」となっても、「じゃぁ、次やってみよう」と。もしそこでかかわりがなくなってしまったら、その時点で終わってしまう。かかわり続ける意志を示し続けることが、大事だと思っています。「どういう自分になりたいか?」「どんな道を歩みたいのか?」という希望や夢を実現できるよう、その方法を一緒に考え、寄り添えたらなと。
もし当時に戻れたとして、「こんな仕組みがあれば」「良い友だちがいたら」などと考えてみましたが、やはり「行ける!」という自信はないかな。ただ、今の僕があるのは、最期に母が、背中を押してくれたからだと思います。
(聞き手・ライター上田隆)

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